桝一では2000年より木桶仕込みを半世紀ぶりに復活させ、いまも続けています。
うちで働くアメリカ人取締役のセーラ・マリ・カミングス、彼女が抱いた《このままでは大桶をつくれる職人がいなくなる》という危機感から始めた桶仕込みでした。一方で私は、《桶で醸して酒に違いが出るのか。桶の酒に需要はあるだろうか》と心配したものです。
しかし明らかに、桶で仕込んだ酒ならではの味がありました。最たる違いとは、酒の触感でしょう。その年に桶で仕込んだ酒を味見していただくと、「これは二〜三年寝かせた酒ですか」と聞かれることがあります。《仕上がる酒にこれだけ違いが出るのだから、桶の酒には需要がある》と、私は考えるようになりました。
2007年頭現在、うちの蔵には5本の木桶が並んでいます。新潟県新井市の桶屋の清水作治さんが、すべて新造してくれました。昭和5年生まれで、お会いした2000年当時70歳だった清水さんには、「可能なかぎり、何本でも桶をつくって下さい」とお願いしました。大桶は工業製品ではないのですから、つくり手が元気のうちに・・と思ったからです。
その後5年間で5本の大桶をつくり、清水さんは2005年に他界されました。清水さんの大桶が増え続けるなら、私たちは桶仕込みに適した酒の品ぞろえを増やしていこう――そう思っていましたから、こんなに早く亡くなられたことは意外であり、とても残念でした。
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私が子どものころは秋になると、杜氏に率いられた蔵人たちとともに、桶屋さんが2人、飯山(長野県飯山市)の農村からやってきたものです。そう、桶屋は蔵人扱いでした。酒造りを手伝いながら、桶屋専用の細工小屋で、大小の桶の修繕などをしていたのです。
暖かくなるころ、桶屋さんは蔵人と連れ立って、村へ帰ってゆきます。そこからが、私たち子どもの天下でした。酒造りの大役を終えて干されている30近い大桶の上を飛び歩いたり、桶屋の細工小屋から竹を失敬して弓矢をつくったりして、よく遊んだものです。
やがて木桶がホーロータンクに取ってかわられてゆく時代・・うちの蔵に毎冬来ていた桶屋さんも、一人は飯山仏壇(経済産業省指定の、飯山市の伝統的工芸品)づくりに転職され、いま一人はブラジルに移民へ。それを聞いて子ども心にも、寂しく感じたものです。
木桶仕込みへの見直しはいま、酒の世界のみならず食品業界にも拡がりつつあるようです。そのような動きが、桶屋さんたちの存続に多少なりとも貢献できればよいのですが・・。