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桝一市村酒造場
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長野県

桝一市村酒造場
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〒381-0294 長野県上高井郡小布施町807
TEL.026-247-2011
http://www.masuichi.com/ E-mail:bunka@masuichi.com
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できる酒が明らかに違うから、桶で仕込み続ける
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長野県・桝一市村酒造場
市村次夫さん(代表取締役)
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「何本でもつくって」と、70歳の桶屋さんに頼んで
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桝一市村酒造場
始める前は、「桶で醸して酒に違いがでるのか」といぶかしんだと回想する蔵元・市村次夫さん
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桝一市村酒造場
凍てついた信州・小布施の朝空に、250歳の酒蔵の小さな煙突が、今朝も元気な白い息を吐く
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桝一市村酒造場
桝一のセーラ・マリ・カミングスの木桶への思いを受けとめてくれた、清水作治さん夫妻(2002年夏撮影)
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桝一市村酒造場
桝一の蔵で、桶に櫂を入れる蔵人たち
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 桝一では2000年より木桶仕込みを半世紀ぶりに復活させ、いまも続けています。
 うちで働くアメリカ人取締役のセーラ・マリ・カミングス、彼女が抱いた《このままでは大桶をつくれる職人がいなくなる》という危機感から始めた桶仕込みでした。一方で私は、《桶で醸して酒に違いが出るのか。桶の酒に需要はあるだろうか》と心配したものです。

 しかし明らかに、桶で仕込んだ酒ならではの味がありました。最たる違いとは、酒の触感でしょう。その年に桶で仕込んだ酒を味見していただくと、「これは二〜三年寝かせた酒ですか」と聞かれることがあります。《仕上がる酒にこれだけ違いが出るのだから、桶の酒には需要がある》と、私は考えるようになりました。

 2007年頭現在、うちの蔵には5本の木桶が並んでいます。新潟県新井市の桶屋の清水作治さんが、すべて新造してくれました。昭和5年生まれで、お会いした2000年当時70歳だった清水さんには、「可能なかぎり、何本でも桶をつくって下さい」とお願いしました。大桶は工業製品ではないのですから、つくり手が元気のうちに・・と思ったからです。

 その後5年間で5本の大桶をつくり、清水さんは2005年に他界されました。清水さんの大桶が増え続けるなら、私たちは桶仕込みに適した酒の品ぞろえを増やしていこう――そう思っていましたから、こんなに早く亡くなられたことは意外であり、とても残念でした。

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ブラジルに渡った、桶屋さんの記憶

 私が子どものころは秋になると、杜氏に率いられた蔵人たちとともに、桶屋さんが2人、飯山(長野県飯山市)の農村からやってきたものです。そう、桶屋は蔵人扱いでした。酒造りを手伝いながら、桶屋専用の細工小屋で、大小の桶の修繕などをしていたのです。

 暖かくなるころ、桶屋さんは蔵人と連れ立って、村へ帰ってゆきます。そこからが、私たち子どもの天下でした。酒造りの大役を終えて干されている30近い大桶の上を飛び歩いたり、桶屋の細工小屋から竹を失敬して弓矢をつくったりして、よく遊んだものです。

 やがて木桶がホーロータンクに取ってかわられてゆく時代・・うちの蔵に毎冬来ていた桶屋さんも、一人は飯山仏壇(経済産業省指定の、飯山市の伝統的工芸品)づくりに転職され、いま一人はブラジルに移民へ。それを聞いて子ども心にも、寂しく感じたものです。

 木桶仕込みへの見直しはいま、酒の世界のみならず食品業界にも拡がりつつあるようです。そのような動きが、桶屋さんたちの存続に多少なりとも貢献できればよいのですが・・。

信州の地から新しい文化を発信し続ける、小さな酒屋さん
 

 記録によれば創業は宝暦5(1755)年、現在製造石数は350石ほどの、小さな酒屋さん。小布施の地で塩や茶や油の問屋、大名貸しや薬屋、酒造業を営んできた市村家の、次夫さんは第17代目。住民が主体となり美しい町並みを整える「修景事業」など、全国的に注目される斬新な文化発信を、1980年代以来続けている。桶仕込み保存会も、この蔵が呼びかけて始まった。ちなみに5代前の市村家当主・高井鴻山(たかい・こうざん)も、晩年の葛飾北斎を小布施の地に招き、その文化活動を支えた働きなどでつとに有名だ。

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桶仕込み保存会事務局  〒381-0201 長野県小布施町500 TEL.026-247-7511 FAX.026-247-6369 E-mail: info@okeok.com