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私たちがいま「桶・樽」と呼ぶのは桶というもので、その技術は遥かヨーロッパからアジアをへて鎌倉時代に到来したとされています。ちなみに桶と樽の区別ですが、密封性のある鏡(蓋)のない物が「桶」、あるものが「樽」と考えればよいでしょう。
古代の日本では、木の器といえば刳物か「曲げ輪っぱ」のような曲物でした。それが結桶の到来で、遥かに耐久性のある大きな器がつくれるようになりました。
このことは、実は日本人の生活や産業を革命的に変えました。モノの大量生産・大量輸送が可能となったからです。江戸時代に都市文化が成熟すると、大きな桶には酒や味噌、醤油、酢が満々とたたえられ、それらが樽詰めされ遠方にも運ばれて、醸造業は飛躍的発達を遂げました。樽・桶材として吉野スギも有名になりました。
江戸期の日本の桶・樽の利用文化は、世界でもかなり突出したレベルにありました。明治初期、日本がアジア諸国へ初めて輸出したセメントは、伝統的な和樽に抱かれて海を渡りました。既に高度なレベルの桶・樽利用文化があったからこそ、明治時代の日本は近代的な量産体制にも素早く順応できたのだと、私は思います。
こうして大正期ごろまで、日本人はまさに「産湯の湯桶から棺桶に至るまで」、桶の世話になりました。
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