桶職人:萩原幹雄 桶職人:萩原幹雄

完成した9尺の大桶と、萩原幹雄(はぎわら・みきお)さん(1952年生まれ)

桶職人:萩原幹雄

野田市で醤油用の大桶をつくり続けてきた高梨貞二郎さん(写真右)と。9尺桶の竹タガ作成は、難しい仕事だった

桶職人:萩原幹雄

逆さにした大桶に、竹タガをはめてゆく作業

桶職人:萩原幹雄

ご自宅の、広い仕事場にて。5升樽用の竹タガを、手際よくどんどん仕上げていく

 

 


小さな仕事の樽屋さん、大桶に挑戦

 私はね、樽屋です。ふだんは近所のご家庭で使われる味噌や漬物用の桶を主につくっています。大きさはたいてい、5升樽(高さ・直径とも30センチ弱)とか4斗樽(高さ・直径とも約55センチ)。業者さん用の大桶づくりとは、基本的には仕事が違うんですよ。

 ところがそんな樽屋の私が2005年、ま新しい9尺桶(高さと直径がそれぞれ3メートル弱の桶)づくりに関ったんです。千葉県野田市で大桶をつくり続ける高梨木槽製作所の高梨貞二郎さんと息子の博美さんが、タイヘイ醤油さん(同八日市場市)から依頼されたお仕事でした。私の樽づくりのお師匠さん・玉ノ井芳雄さんが、高梨さんと同じ野田市の方ですので、そのご縁から紹介いただいたのです。

 いやはや、大変な大仕事でした。大桶づくりって、最後は集団作業でしょ。ふだん私は親父(岩二さん)と作業していますが、まあ、ほとんど個人プレイみたいなものですから、調子が随分違います。それにタガに使う竹のスケールも扱い方も、大桶と樽ではかなり違いますし。

 樽屋の私が関らせていただいた理由はね、樽屋も桶屋もグンと減ったせいか、大桶修理のご依頼が、樽屋のうちに舞い込むことがあるんですよ。昔、一度お断りしてしまったことが、ずっと胸に残ってね。やはり仕事って、断ってはダメです。一般の方には、桶も樽も同じなんですから――。だから今回は戸惑うことも多かったけれど、勉強になりました。

栃木県で、樽をつくって三代目

 醤油の容器といえば樽だった明治時代、「樽職人になれば、稼げる!」と考えた私の祖父さん(林蔵さん)は、(醤油の一大産地であり、醤油樽づくりも盛んだった)野田市へ樽屋修業に出ました。そして故郷・藤岡(栃木県藤岡町)に戻って始めたのが、うちの樽屋稼業なんです。

 その後、時代とともに樽の需要も激しく移り変わり、うちは拠点を栃木市に移しました。職人を10人抱えた忙しい時期もあったそうですが、昭和27(1952)年生まれの私が20代で仕事に入ったころには、プラスチック桶用の木蓋ばかり、年間何万枚もつくっていました。3人の職人さんと父と一緒に木蓋を必死につくり、桶樽にかかわるのはたまに舞い込む修繕仕事だけ。これでは技術が身につかないと、前述の玉ノ井さんにお願いして修業をし直したとき、私は30代になっていました。

 玉ノ井さんは80代でご健在ですが、「ヨーイ・ドン!」でタガかけ競争をしたら、いまでも私は負けてしまうでしょう。それぐらい、仕事が早くて正確なんです。「プロはとにかく、数をこなしなさい」と教わりました。私の父と同年輩で、生活のために漬物容器の仕事を大量にこなしつつ、樽の技をずっと磨き続けた人。私の大切なお師匠さんです。

 樽屋というと、「伝統の技」「頑固な職人」といった固定観念にはめこんで見られがちなんですが、私たちもごくごく普通に暮らしているだけのことでね。食べてゆけなければ、この仕事も続けない。そしていまの仕事がいつまで続けられるものか、私にもわかりません・・それでも続けられる限りは手際よく、しかも丁寧な樽づくりを心がけたいですね。

 
桶イラスト
栃木県

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