喜多方の町で、桶屋の3代目です。私が大正15年うまれで、親父は明治33年生まれ。その親、つまり私のおじいちゃんが、ここで桶屋を始めたわけね。町内の大和川(酒造)さん(の木桶仕込み復活のため)に今回削り直した四尺桶は、昔の"もと桶"だね。昔から出入りしてるから、あそこの桶はみーんな知ってるよ。
私が昭和21年に復員したとき、喜多方に桶屋は30軒あって、ほとんどは農家廻りの桶屋でした。一方、うちは古株だから、旦那場(だんなば)の仕事をできたの。旦那場というのは酒屋さんや味噌屋さん、醤油屋さんなど醸造関係の桶の仕事ね。桶も大きくて特殊だから、箍(タガ)の巻き方なんか、普通の桶屋さんでは経験がなくて、わからないんだよ。
三寸の小柄杓から甑(こしき=蒸かし桶)や半切(はんぎり)桶、暖気樽(だきだる)に米研ぎ桶、麹を測る桶。そして六尺、七尺の大桶まで、つくった。つくった一番大きい桶は、底が(直径)七尺の味噌桶ね。側(がわ)板は杉、底板は桂(カツラ)でつくった。味噌や醤油の桶には、松も使った。酒屋さんには、大きなものでは五尺の甑(こしき)や、四尺の仕込み桶をつくったね。
一番多いとき、うちに弟子が5人いたの。ほかに渡り職人といって、転々と渡って歩く職人も来た。その人たちは日当じゃなく請負で仕事をするから、朝の一服も昼休みもなく働いて桶を仕上げて、また次へ行くんですよ。
それがいまは、私一人です。このごろじゃ郡山辺りからも、電話帳みて注文がくるよ。家庭用の一斗の味噌桶ね。郡山なんて、私は道もわからないから、高速道路のインターで待ち合わせて桶を受け渡したり(笑)。私の息子たちも、もううちの商売はダメだというんで、ほかの仕事に就いていったし。ほんと、誰もいなくなった。
ところが最近、どういうもんだか私は詳しくわからないけど、「俺は桶をつくるのが好きだ」という若い人が来てね――奥畑っていう、気持ちのいい素直な人だ。小さい桶は一人前につくるけど、大桶づくりは経験がない。だからうちに四尺桶の注文が来たときは彼を呼んで、教えながら一緒にやった。後継者ができて、よかったよぉ。私ももう歳だから、仕事は断るしかないかなぁ・・なんて思っていたんだけど、彼が「私、いつでも来ます」と喜んでるんだからね。そんな相棒がいれば、まだまだ六尺桶でもつくれると思うよ。