桶職人:萩原幹雄
桶職人:萩原幹雄

杉山孟さん(1934年生まれ)。息子の実さん(64年生まれ=左奥)は、「機会があれば大桶づくりも覚えたい」という

桶職人:萩原幹雄

孟さん幼少期(写真右端)、小田原駅に貨車で届いた木曽サワラ丸太を挽く風景

桶職人:萩原幹雄

みやげ物用の容器。小田原の桶材は木曽サワラ。この容器もサワラ材製だ

桶職人:萩原幹雄

小判型の風呂桶にカンナをかける孟さん。後ろに積まれているのはサワラの割材 撮影/杉山実さん

 

 


小さな仕事の樽屋さん、大桶に挑戦

 私は桶屋の三代目、だけど桶づくりの経験は、実はここ十年なんです。
わさび漬などみやげ物用の容器を主につくってきたんですが、「私も身体が動くうち、桶でもポツポツやろう」なんて、ふと思い立ちましてね。かつて「門前の小僧」で見覚えた桶づくりを、(元桶屋の)叔父に習い直して、風呂桶をつくったのが十年前(1996年)ごろ。そこが始まりです。

 以来、桶の仕事を少しずつ・・。最初は漏れる桶を、大分つくりました。知らぬを幸いに何でも引きうけ、4メートルの箱風呂を現場で組み立てたこともあります。箱風呂のはぎ目が切れて、代金をもらえなかったこともありました。それでもなんとか、近隣の箱根や伊東など温泉地にさまざまな風呂桶を納めてきました。大きな仕事には、岩手の奥畑さんにも、助っ人に来てもらったりして。偶然うちの前を通りかかったのが縁で、すっかり仲良くなった若い桶屋友だちです。

 初代の辰次郎=私の祖父さんが桶屋を始めた当初は、うちもご家庭用の桶をつくるごくフツウの桶屋でした。やがて箱根や熱海が観光地となり、イカの塩辛やわさび漬を入れる小さなみやげ樽がどんどん売れて。ダーッと並んだ大勢の職人さんが、(桶樽づくりの技法そのままに)うんと小さな樽をコンコンつくっていた、桶辰の全盛期――戦前の賑わいを、幼児だった私も見て暮らしておりました。

次男坊が、「桶屋を継ぐ」と帰ってきた

 戦後いっとき家庭用の風呂桶が売れましたが、それもポリバスなどに早々に取って代わられまして。機械も導入して、わが家は相も変わらず木の土産物容器をつくっていました。それがプラスチック、紙製品の容器に押されて不景気になると、道楽モンの安太郎=私の親父(明治36年ごろ生まれ)は、サッサと隠居。その親父から、「へっつい(かまど)の灰から縁の下のクモの巣まで、全部お前のモンだ」とか言い渡されて(笑)、長男の私がイヤイヤ跡を継いだというわけです。

 縁の下のクモの巣はたしかに私のモノになったけど(笑)、苦労しましたね。新婚当初から私ら夫婦は、両手挽ノコで丸太を二ツ切りにし、ナタで二ツ割りにして井ゲタに積んだり運んだりして。うちの奥さんも、悪いとこに嫁にきちゃったもんです(笑)。それでもナンとか楽しく賑やかに笑って暮らしてこられたのも、「奥様のやりくり上手」のお蔭ですよ。

 東京でサラリーマンをしていた次男の実(昭和39年生まれ)が、「桶屋の跡を継いでヤル」とか言って帰ってきたのが、2000年ころ。ヘンなところで親孝行の真似みたいなことをしやがってね(笑)。息子はまだまだ「門前の小僧」の修行中ですが、桶を使って下さるお客様あっての桶屋です――どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。

 
桶イラスト
栃木県

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