南部桶柾 奥畑正宏 南部桶柾 奥畑正宏


先輩の桶屋たちの仕事場に憧れてきたという奥畑正宏さん(1965年生まれ)。山奥の山小屋に、桶屋の小宇宙づくりを実現した

南部桶柾 奥畑正宏

妻で染色家の安部智穂さんと二人三脚、この山中に暮らして10年以上になる。

南部桶柾 奥畑正宏

奥畑さんの仕事場。当初はここに暮らしたが、その後、居心地のいい自宅も建てた

南部桶柾 奥畑正宏

手桶の水に、桶屋さんの砥石がまどろむ

 

 

 


変わり者、桶に出会う

いまたしかに桶屋は廃れつつあるけど、僕みたいなのが桶(の技術)を習い始めるには案外、恵まれた時期やったのかもしれません。昔は絶対、教えてくれないですよ。それがいまはもはや競争相手はおらんし、産業自体がこんなだから、『こんなことに興味あるんやったらどうぞやってください』という感じですから・・。

岩手県下閉伊郡川井村の字(あざ)江繋(えつなぎ)、その奥のタイマグラという土地に山小屋を建て、桶屋をはじめて十二年たちました。僕は大阪の堺市育ちで、実家は荒物屋です。だけど、もともと伝統的な手仕事みたいなものに興味があって、大学時代には紀州の炭焼きさんの系譜を調べて何ヶ月も山の中を歩き回ったりしていました。

以前から「田舎暮らし」願望もあって、それを実現するためにも「職人」の道を考え始めたんです。もともとマイナーなほう、誰もやらないほうにいく性格があったんかな・・(笑)。曲げ物職人や和傘職人、下駄職人とか、いま廃れてきているような方向に惹かれていました。そして出会ったのが、岩手県は宮古の桶屋さん。僕の兄は岩手県の山中で民宿をやっていて、その縁から桶屋の坂下直美さんの仕事に出会い、弟子にしてもらえたんです。

「いいよ、教えてやるよ」と、親方(坂下さん)は気軽に引き受けてくれました。でもあとで、「趣味だと思ってたよ。まさか本気とはね・・」と、よく笑ってましたけど。親方がポンと板を割ると、僕も真似をする。そんな具合で湯桶を習い、次には僕が親方に注文した風呂桶を一緒につくらせてもらって。手取り足取り習ったのは一ヶ月ほどで、あとは道具を借りて自分でつくっては親方のところに持っていって、「添削指導」を受けました。

 

先輩の、桶屋さんたちとの出会い

出会いから5年で、親方は亡くなってしまいました。僕が会いに行った当時で75歳ぐらいだったのかな・・ほんと、ギリギリの出会いでした。

親方のほかにも、あちこちの先輩の桶屋さんから、桶づくりを学んできました。桶を始めたころは注文も少ないし困っていると、決まって雪のあるころに小田原の桶辰(おけたつ)さんとか堺の上芝さんから声がかかって、(桶づくりの)「応援」に行かせてもらったものです。

そういう先輩の桶屋さんとの出会いは、実は結構、偶然なんです。喜多方の桶屋の菊地さんも、あの町をぶらり歩いていて、竹篭などを売っている竹屋さんを偶然見かけて店の人と話したら、紹介されたり。それから僕の故郷の堺の町では、まったくの偶然から、明日取り壊しになるという元桶屋に行き逢って、道具や正直台を間一髪で貰い受けたこともあります。そのときは、なんかすごい運命やな、ギリギリやったなと思いましたね。

そんなふうに出会いには恵まれてきたけれど、でも、いくら理屈を教えてもらっても、身体で覚えていかないと。ほんとうにわかるには、時間がかかる。自分でも、いまだに『まだまだやなあ』と思いながら、やっています。

 

岩手県

桶仕込み保存会事務局 〒381-0201 長野県小布施町500 TEL.026-247-7511 FAX.026-247-6369 E-mail: info@okeok.com

http://homepage2.nifty.com/chi-ma/ chiho-masa@niftyn.com