桶トーク1:桶と日本文化
記念講演「桶と日本文化」小泉武夫(東京農業大学教授)
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須恵器や甕仕込みから、桶仕込みへ
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  実はいまの酒というのは、桶ができてから初めて、今の仕込み法になったんです。
初添(ソエ=はつぞえ)・仲添(ナカ=なかぞえ)・留添(トメ=とめぞえ)といってね、三段仕込みをするの。突然いっぱいお酒を仕込んだら、酵母がうすまって、逆にアルコール発酵が弱くなって、雑菌がきてお酒が腐っちゃうから。添・仲・留といって、3つに分けて仕込むの。これをとう酘(とう)方式という。桶が大きくなったから、この仕込みになったんです。室町時代にね。

じゃぁ、奈良時代とか平安時代は何で仕込んだかというと、その時代は桶がまだなかった。中国から、大きな桶造りの技術もまだ入ってこなかった。そこで、須恵器(すえき)という大きな壺というか甕(かめ)みたいなものを使って、小さい仕込みしかなかった。須恵器の欠片は、いまもいっぱい出土してきます。

しおり方式といって、米と麹と水を少しずつ、まぁお酒も加えましたが、それで小さな須恵器や甕に仕込んで、お酒を造った。だから平安時代のお酒っていうのは、アルコールはほとんど出なかったんです。トロッとしたお酒で、今の「みりん」と考えていいです。絞っても、ほとんどお酒にならない。それでいいんです。なぜか? 平安時代は、お酒がお砂糖(甘味料)としても一部使われていたと思われるからです。

砂糖がなかったんです、あの時代は。まだ甘味料がなかった。それでお酒はものすごい濃厚仕込みで、蒸米と麹に対する水の使用量が極端に少ないから、(米や麹が)溶けない。パサパサになっている。そこに、最後に水を加えて酒を抽出する。だから、アルコールはもっと薄まる。ところが、ちゃんとアルコールにならなくても、その米(酒粕)はものすごい甘味料だったんです。砂糖の代わりになるんですね。

だから、桶のなかった時代は、日本人は今のような酒はまったく飲んでいなかった。色んな貴族が氷室(ひむろ)から氷を持ってきて、オンザロックで飲んでいたっていうのは、ほんとうなんです。これはもう、酒を飲んでいるんじゃなくて、みりんに氷を入れたものを飲んでいたようなものなんですね。

 ところが、この大きな桶ができるようになってから、仕込み量が変わってきました。さっきの須恵器(すえき)で仕込むと、大きなものでも2石(1升ビンで20本)くらい。それぐらいの仕込しか出来なかった。ところが室町時代になって、お坊さんたちが酒造りをする僧坊酒(そうぼうざけ)が展開していく。そうなると、ものすごく大きな桶が今度は導入されましたから。

どのぐらいの量を仕込んだかというと、『多聞院日記』を見ますと、なんと30石のお酒を仕込んでいる。これは相当大きい。25石〜30石の桶が使われていたと・・・。つまり一回の仕込みで、奈良時代から平安時代だったら、ひとつの甕からお酒が10本も出来なかった。それがもう、何百本、何千本とできるようになったんですね。だから、桶っていうのはそれくらい、日本酒の大型化を進めるのにものすごく大きな役割を果たしてきた・・というのが、日本酒の世界でございまして。まぁ、日本酒の話ばかりではあれなので・・・。
 
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